日々、せれんでぃぴてぃ

書きたいことをただ書きなぐる超雑記ブログ。

MENU

"これからの「正義」の話をしよう"のまとめ 第1章

スポンサーリンク

 

では、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の権利が

対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのだろうか。

この本はその問いに答えようとするものである。

(マイケル・サンデル:”これからの「正義」の話をしよう”より抜粋)

 

 

           f:id:yshknt0736:20160828094311j:plain

 

ハーバード大学史上空前の履修者数を記録し続ける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラーの邦訳である”これからの「正義」の話をしよう”。

流し読みをするだけでは、理解が進まないのでいつでも振り返ることができるように、個人的な要点をまとめて残しておきたいと思います。(長いので各章ごとに記事を分けます)

 

第1章

 

 

正義を考えるための3つのアプローチ

 社会が公正であるか問うことは、私たちが大切にしているもの(収入や財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉)がどう分配されているか問うことである。公正な社会ではこれらが正しく分配される。難しい問題が発生するのは、ふさわしいものが何であり、それはなぜか問うときである。

 

価値あるものの分配にアプローチする3つの観点は

  1. 幸福
  2. 自由
  3. 美徳

である。これらの理念は正義について異なる考え方を示している。

 

 

正義は幸福の最大化であるという考え方

現代の政治的議論のほとんどは、経済的繁栄の促進、生活水準の向上、経済成長の支援に関するものである。私たちがこうした問題に気を配るのは、経済的に繁栄している方がそうでない場合よりも、個人としても社会としても都合がいいと信じているから、である。(すなわち、繁栄こそが人々の幸福に貢献するから)

こうした考え方を検討するために、功利主義を取り上げる。功利主義とは私たちがどうやって、そしてなぜ、幸福を最大化すべきなのか、つまるところ最大多数の最大幸福を追求すべきなのかに関する最も影響の大きい説である。

 

 

正義を自由に結び付けるための理論

このような理論のほとんどは、個人の権利の尊重を強調する一方で、どの権利が最も重要かについては見解を異にする。正義とは自由及び個人の権利の尊重を意味するという考え方は、現代社会ではなじみの深いものである。

アメリカ合衆国の権利章典では、言論の自由や信教の自由に関する権利をはじめ、いくつかの自由が規定されており、たとえ多数派であってもこの権利を侵害することはできない。

世界では、ある種の普遍的な人権を尊重することがすなわち正義であるという考え方が受け入れられるようになっている。

 

自由を起点とする正義へのアプローチからは幅広い学派が形成されている。この中でも特に大きな陣営が自由放任派公正派である。

自由放任派の考えは、正義とは同意しあった成人によってなされる自発的選択を尊重し、支持するところにあるというものである。これに対し公正派はより平等主義的な傾向である。彼らは制限のない市場は公正でも自由でもないと主張し、正義の観点から求められるのは、社会的・経済的に不利な状況を是正し、すべての人に成功への公正なチャンスを与えることだという。

 

 

正義は美徳や善良な生活と深い関係にあるという考え方

道徳を法制化するという考え方は、自由主義社会の多くの市民に忌み嫌われる。なぜなら、不寛容や弾圧を招く可能性があるから。しかし、公正な社会ではある種の美徳や善良な生活の概念が肯定されるという考え方は政治的な運動や議論に刺激を与えてきた。タリバン、奴隷制度廃止論者、キング牧師もまた、道徳や宗教にかかわる理念から正義のビジョンを引き出した。

 

 

第1章のまとめ

 

つらつらと書いてきましたが、1章を要約すると

  • 社会が公正であるか問うことは私たちが大切にしているものが公正に分配されているか問うこと
  • 分配についてアプローチする観点として①幸福②自由③美徳の3つがある   
  • ①幸福の観点では最大多数の最大幸福を追求することこそが正義である
  • ②自由の観点ではある種の普遍的な人権を尊重することが正義である
  • ③美徳の観点では美徳や善良な生活が正義である

といった感じになります。

 

 

それでは第2章に続きます。