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"これからの「正義」の話をしよう"のまとめ 第2章

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その子がその部屋にいることを、オメラスの人びとはみんな知っていた・・・その子はそこにいなければならないことを、だれもが知っていた・・・自分たちの幸福、町の美しさ、親密な人間関係、子供たちの健康・・・さらに、豊かな収穫や穏やかな気候といったものまでもが、その子のおぞましく悲惨な生活に全面的に依存していることを理解していた・・・もしその子が不潔な地下から太陽のもとに連れ出されたら、その子の体が清められ、十分な食事が与えられ、心身ともに癒されたら、それは実に善いことに違いない。だが、もし本当にそうなったら、その瞬間にオメラスの町の繁栄、美しさ、喜びはすべて色褪せ、消えてなくなる。それが子供を救う条件なのだ。

(アーシュラ・K・ル=グィン:"オメラスから歩み去る人々"より)

 

 

ということで引き続き第2章についてまとめていきたいと思います。

1章については下記の記事を参照してください。

 


2章ですが、1章で述べられた正義についてアプローチする観点の1つである①幸福について詳しく述べられています。

 

 

第2章

 

 

ジェレミー・ベンサムの功利主義

 

イギリスの道徳哲学者であり法制改革者でもあったベンサムは、功利主義の原理を確立した。その中心概念は、道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することであるというものだ。ベンサムによると、正しい行いとは「効用」を最大にするあらゆるものであるという。ベンサムは「効用」という言葉によって快楽や幸福を生むすべてのもの、苦痛や苦難を防ぐすべてのものを表している。

ベンサムがこの原理に到達したのは次の論法によってである。我々は快や苦の感覚に支配されている。この2つの感覚は我々の「君主」である。それは我々のあらゆる行為を支配し、さらに我々が行うべきことを決定する。善悪の基準は「この君主の玉座に結びつけられている」のである。

 

だれもが快楽を好み、苦痛を嫌う。功利主義者はこの事実を認め、それを道徳生活と政治生活の基本に据える。したがって、人々は自らにこう問うべきである。この行動の利益をすべて足し合わせ、すべてのコストを差し引いたときに、この行動はほかの行動より多くの幸福を生むのだろうかと。

 

ベンサムは効用最大化を拒否する根拠はいっさいありえないと述べている。あらゆる道徳的議論は、暗黙のうちに幸福の最大化という考えに依存せざるを得ないからである。また、こうも述べている。「ある人が効用の原理に戦いを挑もうとするとき、その人は気が付かないうちに、戦おうとする原理そのものから戦う理由を導き出しているのだ」。(道徳についてのあらゆる論争は、正しく理解すれば、快楽の最大化と苦痛の最小化という功利主義原理の適用方法の対立であり、原理そのものをめぐる対立ではないから)

 

 

功利主義に対する反論その1:個人の権利

 

功利主義の最も目につく弱みは個人の権利を尊重しないことである。満足の総和だけを気にするため、個人を踏みつけにしてしまう場合がある。したがって、功利主義の論理を徹底すると、品位や敬意といった我々が基本的規範と考えるものを侵害するような考え方を容認することになりかねない。基本的人権に訴える反論によれば、1人の人権を侵害することは、多数の幸福のためであろうと間違っている。

 

 

功利主義に対する反論その2:価値の共通通貨

 

功利主義は、道徳の科学を提供すると主張する。その土台となるのは、幸福を計測し、合計し、計算することだという。この科学が人の好みを計る際、それを評価することはしない。すべての人の好みを平等に計算するのだ。好みを合計するためには、それを単一の尺度で計る必要がある。ベンサムの効用という概念はこうした1つの共通通貨を提供するものである。しかし、道徳的にまつわるあらゆる物事を、計算の過程で何物も失わず、単一の価値の通貨に換算することは可能だろうか。功利主義に対する2つ目の反論は、この点に疑問を呈している。この反論によれば、すべての価値を1つの価値の共通通貨でとらえることはできないのだ。

 

 

ジョン・スチュアート・ミル

 

功利主義に対して、①最大幸福原理は人間の尊厳と個人の権利を十分に尊重していない②道徳的に重要なすべてのことを快楽と苦痛という単一の尺度に還元するのはあやまりだという2つ反論がある。ジョン・スチュアート・ミルはこうした反論に答えることができると考えていた。

 

 

自由擁護論

 

「自由論」の中心原理は、人間は他人に危害を及ぼさない限り、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだというものだ。ミルによれば、人が社会に対して説明責任を負う唯一の行為は、他人に影響を及ぼす行為だけだ。他人に危害を加えていない限り「(私の)独立は、絶対の権利である。自分自身について、自分の体と心について、人は主権を持っているのである」。

ミルは効用こそがあらゆる倫理問題の最終的な拠り所であると考えている。しかし、その効用は、進歩する存在としての人間の恒久的利益に基づく、最も広い意味での効用であるとしている。効用は個別の問題ごとにではなく、長期的観点から最大化すべきである。長い間を見れば、個人の自由を尊重することが人間の幸福を最大化することにつながるとミルは言う。

 

ミルは「自分自身の欲求や衝動を持たない者は人格を持たない。蒸気機関が人格を持たないのと同じである」とし、人間の個性に対して手放しの称賛を送っている。しかしこの考え方は効用を超えた道徳的理想(人格や人類の繁栄という理想)であり、ベンサムの原理を洗練するものではない

 

 

第2章のまとめ

 

2章を要約すると以下の通り。

  • 道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することである
  • 功利主義の最も目につく弱みは個人の権利を尊重しないことである。満足の総和だけを気にするため、個人を踏みつけにしてしまう場合がある。

  • 道徳的にまつわるあらゆる物事を、計算の過程で何物も失わず、単一の価値の通貨に換算することは不可能。

 

では3章に続きます。