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"これからの「正義」の話をしよう"のまとめ 第3章

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誰かの労働の成果を奪うことは、その人の時間を奪い取ること、また様々な活動を行うように命じることと同じである。人々があなたに何らかの仕事を、あるいは報酬のない仕事をある期間行うように強制するならば、彼らはあなたが何をすべきか、何のために働くべきかを、あなたの意志とは無関係に決めているのだ。そうだとすれば・・・その人々はあなたの一部を所有していることになる。つまり、あなたに対する所有権を持っていることになる。

マイケル・サンデル:”これからの「正義」の話をしよう”より抜粋)

 

 

第3章についてまとめていきます。

第2章については以下の記事を参考にしてください。

 


第3章は自由至上主義(リバタリアニズム)について述べられています。

 

 

富の再分配について

 

アメリカの経済的不平等はほかの民主主義国よりもかなり大きい。こうした不平等を不公正と考え、貧困者を助けるために富裕層へ課税すべきだという人々がいる。それに賛成しない人々もいる。強制や不正行為によってではなく、市場経済での選択を通じて経済的不平等が生じるならば、そのことは少しも不公正ではないという。

 

公正とは幸福の最大化を意味すると考えるならば、富の再分配が支持されることになる。しかし、この再分配は少なくとも2つの異論にさらされる。

最初の異論は功利主義的考え方からである。高率の課税が働くことや投資への意欲を減退させ、生産力の低下につながることを懸念している。意欲の減退により、再配分する原資が少なくなり、効用の全体レベルが低下する恐れがある。したがって功利主義者は課税を行う前に、そうすることで再配分する原資が減る恐れがないか考える必要がある。

 

2つ目の異論はこうした計算自体が見当違いだとするものだ。それによれば貧困者を助けるために富裕者に課税するのは不公平であるという。なぜなら基本的権利が侵害されることになるからである。この異論によれば、同意なしに富裕者から金を取り上げることは、大義のためであっても強要であることに間違いない。自分の金を自分の好きに使う権利を侵害しているからだ。このような根拠で再配分に反対する人はしばしば「リバタリアン(自由至上主義者)」と呼ばれる。

 

 

最小国家

 

リバタリアンの中心的主張は、どの人間も自由への基本的権利(他人が同じことをする権利を尊重する限り、自らが所有するものを使って、自らが望むいかなることも行うことが許される権利)を有するというものだ。

 

権利についてリバタリアンの主張が正しければ、近代国家の活動の多くは不法であり、自由を侵害するものである。最小国家(契約を履行させ、私有財産を盗みから守り、平和を維持する国家)だけがリバタリアンの権利と理論が両立する国家となる。

 

 

リバタリアンの主張

 

リバタリアンは近代国家が制定している3つのタイプの法律や政策を拒否している。

その3つは以下のとおりである。

  1. パターナリズム(父親的温情主義)の拒否
  2. 道徳的法律の拒否
  3. 所得や富の再配分の拒否

 

①パターナリズム(父親的温情主義)の拒否

リバタリアンは自傷的行為を行うものを保護する法律に反対する。例えるならオートバイに乗る際のヘルメットの着用義務である。ヘルメット着用が命を救い、大怪我を防ぐとしても第三者に危害を加えず、乗り手が自分の医療費を払える限り、国家には着用を指図する権限はない。

 

②道徳的法律の拒否

リバタリアンは法的強制力を用いて、多数派の持つ美徳の概念を奨励したり道徳的信条を表明したりすることに反対する。売春には多くの人が道徳的に反対するだろうが、成人が同意の上で売春を阻む法律は正当なものではない。

 

③所得や富の再配分の拒否

リバタリアンは富の再配分のための課税を含め、他人を助けることをある人々に要求する法律を拒否する。富めるものが貧しいものを支えることは望ましいが、そうした援助は国が命じるのではなく、個人の意向に任せられるべきである。

 

 

自己所有権という概念について

 

『アナーキー・国家・ユートピア』の中でロバート・ノージックはリバタリアンの原理を哲学の面から擁護し、分配の公正というよく知られた理念に対して疑問を呈した。彼は「働いて得た所得に対する課税は強制労働と同じである」と述べている。国家が私の所得の一部を要求する権利を持つなら、それは私の時間の一部を要求する権利を持つことになる。私の所得の30%を取り上げる代わりに私の時間の30%を労働に費やすよう命じても同じである。国家のために働くことを強制できるのなら、国家は事実上私に対する所有権を主張していることになる。

 

 

第4章に続きます。