日々、せれんでぃぴてぃ

書きたいことをただ書きなぐる超雑記ブログ。

MENU

"これからの「正義」の話をしよう"のまとめ 第5章

スポンサーリンク

  

   f:id:yshknt0736:20160909212545j:plain

 

最も平凡な人間の理性をもってしても、最も難解な哲学をもってしても、自由を論破することはできない。(イマヌエル・カント:ドイツ)

 

 

第5章のまとめです。

第4章については以下を参照してください。

 


第5章はイマヌエル・カントの哲学についてです。

 

 

権利に対するカントの考え

 

ドイツ(プロイセン)の哲学者であるイマヌエル・カントは義務と権利について別の見方を提示している。カントの理論は、自分の所有者は自分自身であるという概念にも、人間の生命や自由は神からの贈り物だという意見にも基づいていない。理論の基盤となっているのは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するという考え方だ。

 

カントは1781年、57歳の時に初の主要著作『純粋理性批判』を発表。これはデイヴィッド・ヒュームやジョン・ロックの経験論に異を唱えるものだった。その4年後には初の道徳哲学に関する著作である『道徳形而上学原論』を出版。本書は、道徳とは幸福やその他の目的を最大化するためのものではなく、人格そのものを究極目的として尊重することだと論じ、功利主義を徹底的に批判した。

 

 

本書は導入部で、正義へのアプローチを3つ挙げた。

  1. 功利主義者のアプローチ(幸福の最大化)
  2. 正義と自由を結びつける(リバタリアン的考え方)
  3. 道徳的な観点からみた考え方(美徳の奨励)

 

カントは1つ目と3つ目のアプローチを認めていない。カントの理論で言えば、どちらも人間の自由を尊重していないからだ。

 

 

最大幸福の問題点

 

カントは功利主義を認めていない。功利主義は、何が最大の幸福をもたらすかを権利の基準とすることで、権利を脆弱にしているとカントは考えている。

また、カントはある時点での利害、必要性、欲望、選好といった経験的理由を道徳の規準にすべきではないと言う。こういった要因は変わりやすく、偶然に左右されるため、普遍的な道徳原理の基準には到底なりえない。

 

人間はみな尊敬に値する存在だ

それは自分自身を所有しているからではなく、合理的に推論できる理性的な存在だからだ。人間は自由に行動し、自由に選択する自律的な存在でもある。

 

理性の能力だけが、人間の能力ではない。人間は理性的な生き物であると同時に、感性的な生き物でもある。理性の能力は自由の能力と結びついている。この2つが組み合わさることで、人間は動物とは一線を画す独自の存在となる。これらの能力が、人間を生理的欲求しか持たない生き物以上の存在とする。

 

 

自由とは何か

 

私たちは自由を、何にも妨げられずに、したいことをすることだと考えがちだが、カントの考え方は違う。カントの自由の概念はもっと厳しく要求が多い

カントは次のように論じている。動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしているときの人間は、本当の意味で自由に行動していない。欲望を満たそうとしているときの行動はすべて、外部から与えられたものを目的としている。

 

カントの考える自由な行動とは、自律的に行動することだ。自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動することだ。

 

 

人格と物

 

自律の対義である他律的な行動とは、誰かが定めた目的のために行動することだ。そのとき、果たした値は目的を定める者ではなく、目的を達成するための道具にすぎない。

カントにとって、間の尊厳を尊重するのは人格そのものを究極目的として扱うことだ。だからこそ、功利主義のように全体の福祉のために人間を利用するのは誤りなのである。

 

 

道徳的か否かを知りたければ動機を見よ

 

カントによれば、ある行動が道徳的かどうかは、その行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まるという。重要なのは動機であり、その動機は決まった種類のものでなければならない。

「善意志は、それが及ぼす影響や達成するもののために善いのではない」とカントは述べている。うまくいくかどうかは関係なく、善意志はそれ自体が善いのだ。

 

どんな行動も、それが道徳的に正しいものになるには、道徳法則に従っているだけでなく、道徳法則のためになさなければならない。行動に道徳的な価値を与えるのは”義務の動機”だ。

もし義務以外の動機、例えば私利から行動しているのなら、その行動に道徳的な価値はない。また、私利だけではなく、必要性、欲望、選好、生理的欲求を満たそうとするあらゆる行動にもこれは当てはまる。このような動機、"傾向性の動機""義務の動機"と比べ、義務の動機から生まれた行動だけが道徳的な価値を持つと主張している。

 

 

 

道徳の最高原理とは何か

 

義務から行動することが道徳なら、義務の要件を明確にする必要がある。このためには、道徳、自由、理性という3つの重要な概念の関係性をカントがどうとらえていたか知る必要がある。

 

カントはこれらの概念を二元論を用いて説明している。覚えておくべき対比は次の3つである。

  1. (道徳): 義務 対 傾向性
  2. (自由): 自律 対 他律
  3. (理性): 定言命法 対 仮言命法

 

 

対比その1:義務対傾向性 

 

最初の対比は、すでに取り上げた通り、行動に道徳的な価値を与えられるのは義務の動機だけであるということである。

 

 

対比その2:自律対他律

 

対比その2では、意志決定の方法として、自律と他律という2つの方法を対比する。

 

意志の他律とは、外部の要因、つまり自分以外のものにしたがって意志を決定することだ。しかし、これは大きな問題を生み出す。もし自由が自分の欲望や傾向性を追求すること以上のものなら、それはどのようにして可能なのか。私たちの行動はすべて、外的な影響に由来する欲望や傾向性を動機としているのではないかと。

 

カントはこの問いの答えを”理性”としている。人間は、感覚がもたらす快楽や苦痛に支配される感性的な存在であるだけではなく、合理的に推論できる理性的な存在でもある。もし理性が私たちの意志を決めるのなら、その意志は自然や傾向性の命令にとらわれず選択できるはずだ。

 

 

対比その3:定言命法対仮言命法

 

理性はどのようにしてそれを行うのか。カントは理性が意志を規定する方法として2つの方法を提示している。

 

1つ目は仮言命法である。仮言命法は理性を道具として用いる。XがほしいならばYをせよというものである。

カントは、条件が常に伴う仮言命法を、条件を一切持たない定言命法と対比している。「もしその行為が、別の何かの手段としてのみ善いのであれば、その命法は仮言的だ。もしその行為がそれ自体において善く、理性と一致している意志にとって必要なものであるなら、その命法は定言的だ。」

 

「定言的」とは無条件のことだ。すなわち定言命法とはいわば無条件に、つまりほかに考慮すべき目的や依存する目的を一切持たずに何らかの行動を命じることだ。

 

 

道徳と自由

 

ここで、カントの考える道徳と自由のつながりが見えてくる。道徳的に行動することは、義務から行動すること、道徳法則のために行動することだ。道徳法則を構成しているのは定言命法である。定言命法に従っているときのみ私たちは自由に行動している。

 

道徳と自由をこのようにとらえたカントは、特定の要求や欲望を条件とする功利主義を徹底的に批判した。道徳の基準を特定の利益や欲望に置こうとすると絶対に失敗する。「そこに見いだされるものは義務ではなく、特定の利益のために行動する必要性だけだからだ。」

 

利益に基づく原則は「常に条件に縛られる運命にあるため、道徳法則になりえない。」

 

 

人殺しに嘘をつくのは誤りか

 

カントはうそをつくという行為に対して非常に厳しい。『道徳形而上学原論』では、嘘は不道徳な行為の最たるものとされている。しかし友人があなたの家に隠れていて、殺人者がその友人を探しに戸口へやってきたら、殺人者にうそをつくのは正しいことではないのか。

カントの答えはノーである。

真実を告げる義務はどんな状況にも適用される。

 

殺人者の悪行に手を貸すというには、かなり重大な「不利な状況」をもたらす。しかし、何度も書いているのように、カントにとって道徳は結果ではなく、原理とかかわる問題だ。カントに言わせれば、真実を告げなければならないのは、殺人者に真実を聞く資格があるからでも、その嘘が殺人者に害をあたえるからでもなく、それが嘘であるからだ。

 

カントの主張は受け入れがたいように思えるが、サンデル教授はカントの言い分を擁護している。先ほどの例と同様に、友人を自宅のクローゼットにかくまっていて、友人を狙う殺人者が戸口にいるとする。もちろん殺人者の邪悪な企みに手を貸したくはない。これは大前提だ。そのため、殺人者が友人を見つけるような手掛かりになるようなことは何一つ言いたくない。

 

では何というか。選択肢は2つある。

1つは真っ赤な嘘をつくことだ。「いいえ、彼女はここにいません。」と。もう1つの選択肢は、真実ではあるが誤解を招く表現を使うことだ。「一時間前、ここから少し行ったスーパーで見ました」というように。

 

カントの考えでは、後者の戦力は道徳的に許されるが、前者は許されない。屁理屈のように思うかもしれないが、カントは両者を明確に区別している。

 

 

まとめ

 

この章はカントの哲学についてが書かれていました。

カントの考えを要約すると、次の3点になるのかなと思います。

 

1つ目は、人は理性的な動物であるため、だれにたいしても区別せず、尊重すべきであるということ。

 

2つ目は、快楽を求め、苦痛を回避するような行動は自由とは言えない。自分が定めた法則に従い、自律的に行動することこそが自由なのだということ。

 

3つ目は、人を喜ばせるためや助けるためであっても嘘をついてはならない。どうしてもというときは、誤解を招くような恐れのある真実を告げるべきであるということ。

 

では、第6章に続きます。